「お誕生日おめでとうございます!十代目」
行ってきます、と自宅玄関のドアを開けたツナこと沢田綱吉を待っていたのは、獄寺隼人の大声だった。
自分の誕生日を祝われて、嬉しい人間ばかりではない、と思う。
幸いツナは、おめでとうと言われれば素直にありがとう嬉しいと思える程度には幸せな人生を送ってきた。ダメツナと言われ続ける人生でも、毎年その日が来れば母奈々は真っ白なクリームにイチゴとプレートの飾られた誕生日ケーキと、何がしかのプレゼントを買ってくれていたので、誕生日を祝ったり祝われたりする習慣だってちゃんと身についている。
だが。
物には限度、というものがある。
たぶん。きっと。間違いなく。
お誕生日おめでとうございます十代目今日ほど素晴らしい日はありません十代目というお方がこの世に生まれ出て下さった日なんですから生まれてきて下さってありがとうあなたが生まれてきて下さったことに俺はどれほど感謝しても感謝しきれませんあなたがいらっしゃらなかったら俺もいません十代目がいらっしゃらない世界なんて意味がありませんてかそうっスよだから俺も今日が誕生日です十代目が生まれてきて下さったその瞬間から俺の人生も始まるんスからそうですよ俺も誕生日は10月14日です……
「何それ、意味がないよ」
延々と続く獄寺の祝いだかなんだかよく分からない言葉を笑って遮る。
放っておけばたぶん今日一日彼の口が閉じられることはないのではないだろうかという予感さえしていた。そんな超直感はいらない、とも思う。
獄寺の言葉にはきっと嘘はない。妄想と誇大表現は含まれ過ぎていると思うけれど。
彼は、本当に本気で自分の誕生日を祝ってくれている。
それは確かだ。
(ヒバリさんにもこんな風に誕生祝を………言ってるはず、ないか)
5ヶ月と9日前、とその前の数日間をどこか落ち着かなかったことを思い出す。
握り締めていたあの拳の中に、小さな贈り物は隠されていたのだろうか?
惜しみなく自分に注がれる祝福と感謝は、ちゃんと彼に伝えられることができるのだろうか?
「お誕生日おめでとうございます」
真顔で。自分の目をまっすぐ見つめて。
嬉しい、と笑う獄寺が、本当に幸せそうだからこそ。
自分よりも自分の誕生日を大切に思ってくる彼の、その幸福をこそツナは願った。
遅刻ツナ誕。
友人のツナ誕絵が獄寺だったことに激しく萌えた結果のSSでした。
十代目馬鹿じゃない獄寺なんか獄寺じゃないと思うので、この先もこうして獄+ツナSSが増えていくことと思います。
でも獄+ツナはらぶじゃないんだ。
……うちの獄ヒバがらぶかと訊かれたら、答に窮するとは思いますが。