本当は。




 
 
 
「おやすみなさいませ!十代目」
 いつもと変わらぬ笑顔。
 いつもと変わらぬ元気。
「獄寺君?」
 つま先立ち。小さく首を傾げて、綱吉が獄寺の顔を覗きこむ。
 元々あった身長差は、歳月と共にますます開いて。
「十代目?」
 どうかなさいましたか?と、柔らかく獄寺は笑む。
「……ううん、なんでもない。……おやすみ、獄寺君」
 ねぇ。
 つらいなら、つらい顔、見せていいんだよ?
 俺じゃ、ダメかな?
 浮かんだ言葉を、たくさん、ぎゅっと胸の奥へと飲み込んで。
 綱吉も、静かに笑った。



「やあ」
 綱吉と分かれて。
 長いボンゴレ本部の廊下を歩いて三つ目の角で、雲雀と逢った。
「……」
 逢いたくない顔にあった、と。
 舌打ちしそうになるのを、無表情の鎧で取り繕う。
 十代の頃には、激しかった感情の起伏は、いつの頃からか完全に制御することを覚えた。
「……っ」
 何の、前触れもなく。
 宙を切り、風を纏うトンファーは、間違いなく正面から顔を狙ってきていた。
 間一髪、身を沈めて凶器をやり過ごし、その低い体勢のまま、彼の足元を狙って右脚で回し蹴り。
 遅い。軽々と後ろに彼は跳び、蹴りは届かず。
 その崩した体勢を狙って、さらに一撃。
「てめ、いきなり何しやが……」
「顔が気に入らない」
「……はぁぁ?」
 不意の攻撃の理由を問うたところで、明後日の方向からの返事に、もはや会話の成立する可能性さえ見出せず。
「……っ、ヒバリっ」
 やめろ、と言って所詮通じた試しのない相手だ。
 格闘技は専門じゃねぇんだよ、とぼやきつつポケットから掌に落としたジッポ。
 右の拳に体重を乗せて、真っ直ぐ向かっていく。
 拳闘ならば、十代目か晴れの守護者の領分。敬愛する主の日頃のトレーニングに付き合ったり、ボクシング馬鹿のトレーニングに強制連行されたりして、そこら辺のボクサーよりは余程確かな腕前になっていることを、本人が自覚しているのかどうか。
「遅いよ」
 嗤って。
 鋼鉄の凶器を振りかざす。
 腹へ、一発。
 壁に叩きつけられてよろめきながら立ち上がったところへ、脇からの蹴りを一発。
 床に崩れ落ちたところを、右足で踏みつけて。
 その上に、立つ。
「……っ」
 声を殺した呻き。
 苦痛と、それ以上の悔しさに歪む顔。
「その、顔」
 一瞬、状況さえも忘れて、見惚れてしまいそうになるくらい、艶やかに雲雀が笑う。
「痛ければ、好きなだけ呻けばいい」
 痛いなら。苦しいのなら。
 ちゃんと、そうやって顔を歪めて、苦しい顔を見せればいい。
「あの気持ちの悪い笑い顔、今度僕に見せたら、咬み殺すよ?」
「………」
 言い返す、言葉なんて。
 あるはずもなかった。


 不可抗力だと分かっていても。
 自分のせいではないと分かっていても。
 何が自分にとって大切なのか、絶対に見失わないとしても。

 流した血に。奪った命に。
 その、重みに。
 息が詰まりそうになることだって、ある。

 だけど。
 自分で選んだ道だ。
 
 全部、飲み込んで。
 十代目に心配なんてかけないで。
 
 笑って、見せるしかないだろう?
 そんな、精一杯の強がりさえ、あっさりと打ち砕いて。

 作り笑いなんて、欠片も残らないほどに。



「ヒバリ」
 心なんて目に見えないものよりもっと確かに痛んで悲鳴を上げる身体を、無理やり引きずり起こして。
 立ち上がって。
 伸ばしたその手は、もう、叩き落されることはなくて。

「……ちょ、…っ!」
 抱きしめようとしたまさにその瞬間に、足首に走った激痛によろめいて、ヒバリもろとももう一度床へとダイブ。
 とりあえず下敷きになってやったのは、せめてもの男の意地だ。

 折り重なる身体。
 伝わる体温。
 間近に見つめる瞳。


 触れる、唇。



「……続ける?」
 見下ろす雲雀の笑みは、閨のそれで。
 
 ここがボンゴレ本部の廊下だということが再認識されるまで、コンマ3秒。



「……帰るぞ」
 一瞬だけ、その手を引いて。
 先に立って、歩き出す。
 
 笑顔と無表情の鎧は、叩き壊されたけれど。
 照れ隠しくらいは、最後の砦に残されているようだった。






SNSより再録