遅刻




 5月5日。
 午後11時30分。
 
 アウトストラーダを、時速300kmを超えんとするスピードで、ブガッティが疾走していく。
 太陽道路をモンツァ・サーキットに変えんばかりの大胆かつ緻密なドライビングテクニックでブガッティを操るのは、銀色の髪の青年。
 名を、獄寺隼人。
 イタリア最強、否世界最強を謳われるボンゴレ・ファミリー十代目ボスの片腕だ。



 以前から、十代目ボス沢田綱吉の方針に反抗的だった、同盟ファミリーの一つが公然と叛旗を翻したのが、もうすぐ日付も変わろうという5月4日午後11時。
 敗者には、慈悲を。
 されど、裏切り者には、相応の報いを。
 たまたまその時ボンゴレ本部にいた、嵐の守護者と雨の守護者という、ボスの両腕がすぐに動いた。
 人数を投入すれば、それは復讐が復讐を大規模で果てのないマフィア間抗争へと発展する。
 最小限の人数で。完膚なきまでに。
 


「あれ?これ?」
 獄寺が回してきたブガッティを見て、山本は首を傾げた。
 ことスピードにおいては世界トップランクのブガッティだが、その稀少性から持ち主を特定される危険性は非常に高い。いくら偽りの身分で購入したところで、情報なんてものは幾らでも漏洩するものだ。
 持ち主が、かのボンゴレ十代目の右腕と判明すれば、乗車前後を含めて狙われる危険性は、跳ね上がる。
 ひそかにモーターマニアの気がある獄寺がブガッティを購入すること自体に誰も異を唱えはしなかったが、獄寺自身、迂闊に使うことは極力控え、あくまでボンゴレを離れた私人としての立場を貫ける状況でしか使うことはなかったのだ。
「……うっせぇ」
 苦虫を噛み潰したような顰めっ面で獄寺が応じる。
 獄寺が山本に対して愛想など欠片もないのは出会った中学生からまるで変わらないいつものことだが、どうやらそれだけではないこの低気圧、自分は何か地雷を踏んだだろうか?と山本はこっそり首を傾げた。

 報復は、速やかに終了した。
 真夜中のアウトストラーダを、ブガッティで走り抜け、夜明け過ぎには二人きりで敵のアジトに乗り込んだ。
 こんなに早くボンゴレの報復が訪れるとは思っていなかったのだろう。
 早朝の襲撃に敵は浮き足立ち、混乱し、もはやボンゴレ守護者の敵と呼べない状態であった。
 
 時間がかかったのは、むしろ事後処理だった。
 二人に遅れること数時間。
 ボンゴレの工作員が、現地に到着したのは昼過ぎだった。
 彼らを待つ間。
「なぁ獄寺、腹減らね?」
「………」
「俺、何か仕入れてくるわ」
 後よろしく、と獄寺に止める暇さえ与えず、ひらり窓枠を乗り越えて山本は、町に降りていった。
 カモフラージュ用の中古パソコンのカタログを抱えた不慣れな日本人ビジネスマンのふりをして小さな商店街を物色し、サンペレグリノとパニーニを仕入れて戻ってきた山本から、不機嫌な表情を1ミリたりとも向上させることなく、獄寺はパニーニを受け取り、黙って平らげた。
「打ち合わせどおりだ。いいな」
 工作員が到着してからは、獄寺の不機嫌な表情は見事に消された。
 冷静怜悧な、十代目の右腕は、老若男女問わず、ボンゴレ関係者から圧倒的な支持を受けている。
 その理想的な右腕像を完璧に演じる獄寺をひっそり横目で伺いつつ、長年のつきあいと野生の本能の双方が教える真実で、あーやっぱり機嫌悪ぃなぁ、と山本は思っていた。

「……え、ちょ、獄寺!?」
 ぱたん、目の前で閉ざされるブガッティのフロントドア。
 てっきり来た時と同じように助手席に乗って帰るつもりであった山本は、大いに驚いた。
「勝手に帰れ」
 言い捨てるその間すら惜しいというように、エンジンがかかると同時にそれはもう素晴らしい加速度で、ブガッティは走り出す。
「……あれ?」
 今何かが脳裏を掠めた気がする、と山本は首を傾げた。


「お疲れさま」
 深夜。
 ボンゴレアジトに戻った山本を、エントランスで綱吉が出迎えた。
 眠らずに待っていたのだろう。
 誰かがボンゴレのために命がけで戦っている時に、一人のうのうと眠っていられるボスではないのだ、綱吉は。
「置き去りにされたんだって?」
 綱吉がそっと苦笑する。
「耳早いのな」
 頷いて、山本も小さく笑う。
「お疲れさま」
 もう一度労いの言葉を返す綱吉に、またあれ?と何かが山本の心の隅を掠める。
 綱吉は、獄寺の勝手な行動を咎めるどころか、むしろ嬉しそうだから。
「間に合ったかな、獄寺君」
 独り言のような綱吉の呟きに、首を傾げる。
「ん?何が?」
「ちゃんと昨日のうちに着けているといいんだけど」
「……?」
 綱吉の言葉に、もう一度首を傾げる。
 昨日。
 何かの日だっけ?
 5月5日。
 ───あ。

「ヒバリさん、イタリア入りしてる、らしいから」
 とはいえ、それ以上の消息は、たとえボンゴレといえども掴ませない。
 とても、雲雀らしいことだ。
「獄寺だからなぁ。俺、間に合わない方に、100ユーロ」
「俺も、間に合わない方……ってそれじゃ賭けにもならないか」
 二人顔を見合わせて、小さく肩を竦めた。



 ヴェネツィア、とたった1単語のメールが、獄寺の携帯に届いたのは、5月4日午後11時10分。
 そのメールの、あと15分早くなかったことを、幸運だと思っていた。
 その気になれば、誕生日に変わるその瞬間を共に迎えることも不可能ではなかったそのタイミングで、届いていればもしかしたら自分はアジトを離れていたかも知れなかったから。
 ざわり波を立てる心に蓋をして、十代目の右腕として嵐の守護者として、その責務をまっとうした。
 全てが片付いたその夜までの間、雲雀のことを思い浮かべたのは、広いガレージに眠る私有車の中から、ブガッティを選んだその時だけだ。

 片は付いた、と思った瞬間、右腕のとしての顔が崩れた。
 僅か7.5秒で200キロに達する加速。
 風を読み、投擲の角度と速度のみで、自在にダイナマイトの軌跡をコントロールする獄寺にとって、ハンドルとアクセル、ブレーキでリアルタイムにその動きを制御できる車の運転は、あまりに容易い。
 危なげと無縁の疾走を続けたブガッティが、ヴェネツィア入りしたのは、5月5日午後11時50分。
 雲雀が滞在すると思しきホテルを突き止めるのに、さらに5分。
 まるで加速を感じさせない滑らかな動きでエレベーターが上昇するのさえもどかしく。
 辿り着いた最上階。
 かちり、と無情に、2本の針が重なる。


「……よぉ」
「何しにきたの?」
 半分だけ開いた、重い扉を挟んで対峙する。
 お前の誕生日だから、という口実は、1分前に時効を迎えた。
 冷ややかなまなざし。
 流れる冷気。
 この、アドリア海の真珠を一望する部屋で。
 彼は、どんな一日を過ごしたというのだろうか。
 待たれていた、と。
 自惚れていいのか。


「ヒバリ」
「君は、いつになったら遅刻をせずに来れるようになるのかな」
 溜め息、一つ。
 その背後に見るのは、学ランと腕章の幻。
「遅刻した人間は咬み殺す。分かっているよね?」
 嫣然、と。
 浮かぶ微笑。
 構えられるトンファー。
「……っ!待ちやがれ…っ、このっ!」
 小手返しの要領で、間一髪その手をとって。


 おめでとう、が間に合わなかったなら。
 せめて。
 
 愛している、と。
 言わせては、貰えないだろうか。




























5日遅刻のひば誕

某様がいつになっても読みたいです、と
仰って下さったので書いてみました


なんかメイン山本っぽいんですけど
これでも獄ヒバですと言い張っておきます




このSSからさらに派生した小ネタが幾つかあるので
それもまたいずれ