残像





 並中校舎の屋上に立って、上を見上げれば、どこまでも続くような錯覚を起こさせる真っ青な空が視界いっぱいに広がっていた。
 その、まるでシアン100%で塗りこめたような青空に、よくよく見れば絵筆を軽くなぞったような、白い飛行機雲が一本。
 
 足下の校舎内では、今頃四時間目の授業の真っ最中だ。
 今朝も敬愛する十代目こと沢田綱吉と共に遅刻寸前で、校門に走りこんで、三時間目までをまったく授業を聞くことなく過ごした獄寺隼人は、三時間目終わったところで、禁煙に耐えられなくなって一人屋上に抜け出してきた。
 屋上は、今まさにしようとしている校内で喫煙という行為の天敵である風紀委員長雲雀恭弥に遭遇する確立のかなり高いポイントであるけれど、逆に彼にさえ遭わなければ、他の誰に見咎められることもない、獄寺にとっても校内お気に入りの場所の一つだった。
 
「……いねぇか」
 ゆっくりとあたりを一周見回して、不吉そのものみたいな黒い学ランの視界に入らないことを確認して、ゆっくりとズボンのポケットから煙草の箱とライター、それに携帯用灰皿の3点セットを取り出した。
 最近この国で幅を利かせているタール1mgなどという気休めみたいなものではなくて、有害物質のたっぷり含まれた、彼と同じく外国産の煙草だ。
 その煙を、肺の奥まで届かせるように深く深く吸い込む。
 健康に悪い、なんて今更だ。この煙草の灰が己を蝕むより早く、この命は十代目のために使い切ると信じている。
 昇降口横の壁に背中を預けてふと顔を傾ければ、不自然に壊れた角が目に入る。
 ここは喫煙所としては獄寺の定位置で、そんな明らかな破損があれば目に入らぬはずはなく、従ってそれはここ最近獄寺がここで一人授業をサボって煙草をふかすことのできなかった間にできた破損だと推定できた。
 すなわち、リング争奪戦の間ということだ。
 この屋上も、戦場だった。
 一度目は、雷のリング争奪戦の。
 そして二度目は、大空戦の。
 二度目の時には、あのうざいアホ牛ことランボを助けて獄寺自身がここに立った。
 だが、あの争奪戦での後者の破損に関しては、完全に修復されることが保証されていた。
 何故なら───。

「いい度胸だね」
 気配もなく襲来する、金属の凶器。
 間一髪で致命傷は免れたものの、見事に煙草は吹き飛ばされた。
 それから、ああ違う最初から煙草を狙われたのだ、と思い直す。
 初めて出会った時がそうであったように。

 たった今まさに想いを馳せようとしていた相手の登場に、獄寺は器用に口の端を歪めて苦笑いの表情となった。
 リング争奪戦の中で生じた並中の破損は全て完全に修復されることが保証されていた。
 つまり、ここに残る戦いの傷跡は、リング争奪戦そのものによるものでないということだ。
 そう。
 ここが過酷な戦場であったことがもう一つあると、獄寺も聞き及んでいた。
 争奪戦の前。其々の修行中。
 ここで、雲雀はディーノと修行という名の死闘を繰り広げていたはずだ。

「……こいつは、跳ね馬の仕業か?」
 砕けたコンクリートの壁の角をひょいと親指で指してやれば、ただでさえ低空飛行気味の機嫌が、さらに急降下するのが見ていて小気味よい。その矛先が自分に向くことなんて、承知の上の、スリリングな愉悦だ。
「跳ね馬?あの男のことかい?」
 そんなマイナス標高の機嫌とは裏腹に、獄寺の言葉に雲雀は、素直に首を傾げる。
「あ?聞かなかったのか?跳ね馬ディーノ。お前のカテキョーだろ?」
「知らない」
 知らないのは、跳ね馬の通称か。
 それともカテキョーだったという事実自体を黙殺するつもりか。
 そろそろ絶対零度の冷気を纏い始めたその不機嫌が、愛する校舎の破損それだけの理由であればいいと、心ひそかに願う。
 そうでないことを、本当は知っている。
「……っ」
 無意識に伸ばした指先でその苛烈な性格には似合わぬ柔らかな頬にうっすら残る傷痕へと触れれば、ぴくりと震えるその反応にさえ、本当は嫉妬している。その傷を残したのが、この校舎にその痕跡を残したのと同じ、跳ね馬の鞭によるものであるというなら。
「跳ね馬」
 その音を確かめるように、不意に雲雀が呟く。
 その唇がその音を紡ぐことにさえ、本当は腸の煮え繰り返るほど腹を立てている自分に、獄寺は気付かぬふりをする。
 今の自分には決して勝てない相手である雲雀が、勝てない相手。
 勝負にさえならない、キャバッローネ十代目ボス。
 獄寺にとっての神に等しいボンゴレ十代目沢田綱吉に、並び立つことの許される唯一の存在。


 その頬の傷が消えて。
 このコンクリートの壁が修復されても。

 雲雀の中に、刻み込まれたあの男のの存在はきっと消えない。


「憶えておこう」
 そういって笑う、雲雀の真意など。
 分かるはずもなく。



「咬み殺される覚悟はできたかい?」
 愉しげな笑顔で振りかざされるトンファーを見据えて。

 二本目の煙草に、火をつけた。


















1周年記念のリクエスト企画

いただきましたお題は
「屋上・跳ね馬・傷(怪我)」
の三題でした


リクエスト下さいました氷邑様に
謹んで捧げさせていただきます

ありがとうございました
これからもよろしくお願いいたします