聖歌  






 冬休みを迎えクリスマスを前に町には浮かれたムードが蔓延していて、風紀委員は取り締まる対象に、そして不機嫌な風紀委員長は咬み殺す群れに事欠かない数日が続いていた。

 いい加減群れを咬み殺すにも飽きて、早く新学期が始まって並盛町と並中に秩序が戻ればいいのに、と冬休み早々にして学生らしからぬことを考えながら、25日の朝の町を雲雀は歩いていた。
 とにかく今日が終わればこのクリスマスという馬鹿げた狂騒は終わる。我慢、などという単語は雲雀の辞書にはないけれど、それでも今日という日の終わりを待ち望む気持ちは強い。
 ふらりと商店街から少し外れた細い通りを歩いていけば、小さなまるで目立たない並盛教会があった。そこにあるということを知ってはいても、そこが教会であるということを意識すること滅多にない。
 そんな町の景色に埋もれた建物を目にして雲雀が足を止めたのは、雲雀とて今日という祝祭日の意味を知らぬわけではなかったからというのが理由の一つ。そしてもう一つは、人が出入りしているところを見たこともないようなその小さな木の扉を、ちょうど今まさに開けて出てきたのが、知らない人間ではなかったということで。
「……」
「……」
 目が、あった。
 どちらも無言のままきつい視線を向け合うのは、もはや習性のようなものだ。
 この日本という国にあっては異彩を放つ、紛れようも無く特徴的な銀色の髪と翠の瞳。名前は、確かそう。獄寺隼人。
 雲雀の視界の隅であれやこれやの騒動を巻き起こしている草食動物の群れの、小うるさい一匹だ。
 けれど、今日は彼の周りにいつもの群れの姿はなく。
 そして彼がたった今出てきたばかりの場所にもう一度視線を走らせて、不意に彼が遠い国からきた人間なのだろうということを雲雀は思い出した。





 クリスマスは、嫌いだ。
 12月のカレンダーを見るたびに、獄寺は憂鬱になった。
 敬虔な信徒の多い母国では、その日は家族と共に迎えるのが習慣となっている。
 12月の初めからこれみよがしに飾り付けられたツリーもたくさんのリースも、虚しく華やいだ空気を城に作り出し、数日前までは同盟ファミリーの者達が行ったり来たり、賑やかなパーティも行われるものの、24日の夜には護衛と主人一家の祝祭日の晩餐に給仕する最低限の使用人を残して、多くの使用人達がクリスマスを家族と過ごすために休暇をとる。
 普段は顔を見るのも嫌な子守のメイドだって、この冷たい城の空気を多少なりとも賑やかす役には立っていたのだと思い知るのは、皆がいなくなってから。
 心の通わぬ父と、悪夢そのもののような姉。
 家族で過ごすクリスマスに心温まる思い出などあるはずもなく。
 ただクリスマスの朝の礼拝堂に響くパイプオルガンの音色と賛美歌の響きだけが、クリスマスに繋がる美しい思い出だった。
 家を飛び出し一人で裏社会に生きるようになって、クリスマスの孤独はさらに深くなった。
 悪に手を染め身を落としても、帰る家のある者はいい。帰る家も持たず、聖夜を寄り添って過ごす相手に巡りあうには早すぎる子供は、一人きり聖夜の空を睨んで唇を咬んだ。オルガンの音色に誘われるようにそっと開いた下町の教会には、信仰深い愛情溢れる家族はもちろんのこと、この素晴らしき祝祭日に他に行くところもない者達もたくさん集まっていて、ひっそりその片隅で賛美歌の音色に耳を傾けたのはそう遠い思い出でもない。
 単身海を渡って訪れた日本のクリスマスの光景は、獄寺にはとても奇異なものだったけれど、敬愛する十代目に招かれて彼の家で皆と過ごした昨日のパーティーは慣れないものではあっても、決して不快じゃなかった。誰よりも大切な十代目が楽しそうに笑っていてくれたから、ただそれだけで獄寺には幸せだった。
 けれど。
 やはり最後には独りに戻るのだとひっそりと体を丸めて眠った翌朝、教会へと足が向いたのは、身体に沁みこんだその身に流れる四分の三のイタリア人としての血がなせる業のようなものだったのだろう。
 残念ながら町の小さな教会では獄寺が無意識に期待していたパイプオルガンの音色は聴けなかったけれど、素朴な賛美歌の歌声は耳に優しくそれなりに穏やかな心持ちで扉をくぐって外に出たところで───彼と、目があった。
 道の向こう側、くっきりと浮き上がる黒と白で形作られた姿に、良い思い出はかけらもない。叩き伏せられ、惨めに地を這った屈辱の記憶。
 雲雀恭弥。こんな日に出逢うには最悪の相手、のはずだった。
 けれど、何故だろう。
 その時、獄寺の胸に湧いたのは怒りではなかった。
 きっと普段なら口を開くより早くボムに火をつけていたであろうに、ただそっと視線を外して、なにげないふりをして道を渡って、ちょうど彼のすぐ傍にあった自動販売機の前に立つ。
 ペットボトルの緑茶に紅茶、缶コーヒーなどが並ぶホットドリンクの列で手を止めて、おもむろに雲雀に向き直って。
「……お前も何か飲む?」
 そう、問いかければ、彼は、あっけにとられたようなきょとんとした顔をして。
 その見たことのない表情が、小さな子供みたいで、楽しくなった。
「いらない」
 一瞬遅れて、彼は拒絶の言葉を口にした。
「あ、そ」
 熱心に薦めたいわけでもなかったので、特に気分を害することもなく、獄寺は自分のための温かな緑茶を買おうとボタンを押しかけていたので。
「ペットボトルのお茶は嫌いだけど、ちゃんと淹れたお茶なら飲んでもいい」
 そう言った雲雀がどんな表情をしていたのか、見ることはできなかった。



 一体なんだって俺はこんなところでこんなことしてんだ。
 何度目かになる自問自答を心の中で繰り返しながら、獄寺は常滑の急須から湯呑へと煎茶を注ぎいれた。
 はっきりいって自分で煎茶を入れたことなんて数えるほどしかない。茶葉の量ももちろん適当だ。
「……渋い」
 とん、と目の前に乱暴に突き出された湯呑を受け取って、一口飲んだところでそんなにべもない感想を口にした雲雀は、けれどその茶をつきかえす訳でもなく、静かに啜っている。
「……」
 手持ち無沙汰に自分も、自分で淹れた茶を一口飲んで、獄寺は思わず顔を顰めた。
 上手に淹れられたなんて思っていなかったけれど、確かに渋い。十代目のお母様、沢田奈々がいれてくれるお茶と比べれば、雲泥の差だ。
 けれど、雲雀はその渋いお茶を淡々と飲んでいるから、獄寺も黙って自分で淹れた不味い茶を自分も飲み干すしかなくなる。
 なんだって自分は、この冬休みの並中の応接室で、雲雀と向かいあって茶を啜っているんだろう。
 なんだって自分は、あの自販機で雲雀に何か買ってやろうと声をかけ、なんだって雲雀は自分を応接まで呼んだのだろう。
 湯呑が空になる。
 飲むお茶もなくなってしまえば、ただでさえ居心地の悪いここに黙って座っている理由もなくなる。
 痛いほどの沈黙が続く。
「……なぁ」
「何?まだ飲むの?」
「……いや、もういい」
 口を開くと同時に問いかけられて、咄嗟に答えてしまう。
「そう」
 お茶はもう要らないと言ってしまえば、これ以上ここにいる理由もたぶんなくて。そもそもここに居ろと言われたわけでもない。
「……じゃあな」
 何かを思い切るように立ち上がれば、雲雀は一瞬獄寺を見るけれど、すぐにその視線は獄寺から離れて。
 応接室のドアを開けたところで、不意に思いついた。
「なぁ、音楽室、使わせて」
「?」
 何を言い出すのだろう、と訝しげに雲雀は獄寺を見つめて、それからゆっくりとした仕草で壁際のチェストから黄色いタグのついた鍵を取り出し、何の予備動作もなく獄寺に投げつける。
「……っ」
 掠めれば皮膚を切り裂きそうな勢いで飛んでくる鍵を、かろうじて受け止める。
「あっぶねぇな」
 文句を口にするけれど、その表情は決して険しいものではない。
「終わったら返して」
「ああ」
 音楽室へと向かいかけた足を、ふと止めて、振り返る。
「メリークリスマス、ヒバリ」
 そう、言い残して。
 返事は聞かずに、背を向けた。
 軽い足取りで、音楽室へと向かう。
 あの教室で受けさせられる音楽の授業は眠く退屈なばかりだけれど、あそこにはピアノがある。



 指先でそっと押さえれば、狂いなく響くドの音。
 あの頃城で弾かされるピアノは拷問のように苦しいばかりのものだったけれど、本当はピアノの音は全然嫌いじゃなくて。
 深呼吸。
 両手を広げて。
 
 流れ出すメロディは、先ほど歌われた賛美歌。耳が、身体が、覚えている旋律。
 古い大教会に響き渡る荘厳なパイプオルガンにも負けない、美しい音色が人気のない校舎を流れていく。



 聴こえてくるピアノの音に、一瞬、雲雀は音楽室の方へ視線を向けて。
 ゆっくりとソファにその身を投げ出した。

 二人きりの校舎に、流れる賛美歌。
 これがクリスマスだというのなら、それも悪くはない、と口元に小さく笑み浮かべて。

 メリークリスマス。

 およそ口にしたことのないフレーズを、そっと唇に乗せた。








ぎりぎりセーフ?な感じで
獄ヒバクリスマスです


たぶん、一年目の二人
ピュアで初々しい感じを目指してみたのですが
見事玉砕しました


獄寺にピアノ弾かせるというのは
獄寺がらみのカプを書かれる方なら誰しも
心くすぐられるネタの一つではないかと思うので
まずは書けて嬉しいです